「ピラティス道」
2007.06.11(Mon)
ピラティスもバレエと同様、覚えることが多い。
体のすみずみまで注意を払って行なわないと効果が薄れたり、
かえって体を痛めてしまったりする。
レッスン中は、先生はひとつの動きに対してたくさんの説明をするが、
10言われたうち覚えるのも注意するのも2〜3個が精一杯だ。
というわけで、本を購入しました。渡辺満里奈ちゃんの「ピラティス道」。
この表紙のポーズ、できないんですよー。
わたしの体が硬いせいもあるけど、充分な筋力がついてないと
できない。かつ、このしなやかな体!
この2,3年後にDVDを出して、そのパッケージでも
同じポーズをしているのだが、
それがさらに美しさを増しているのだ。すごい説得力。
おまけに満里奈ちゃんは同い年なんすよ。
そんなわけでこの本にした。
しかしね。「ピラティス・レッスンの理想はマンツーマン」と
いうのはよーくわかるが、できませんよ、ふつう。
ジムでは30〜60人くらいいっぺんにやってます。
先生、あたしを見て。あたし、できてる? これでいい?
肩はどうしたらいいの? ここ痛いけど続けて大丈夫?
これがどうしてもできないんですけど?
先生?
『ピラティス道」
Tarzan特別編集 渡辺満里奈
マガジンハウス発行
『心臓を貫かれて』 shot in the Heart
2007.04.09(Mon)
村上春樹の小説は素直に好きとか良いとか言いにくいけれど、翻訳は素直にいい。
秀逸な翻訳書にして、「沈んでるときに読みたくない本」のひとつである、
ノンフィクション作品『心臓を貫かれて』(マイケル・ギルモア著)。
99年に文庫で買って、何度か読み返している。
著者のマイケルは4人兄弟の末弟。兄ゲイリーは罪もない2人の男を殺した末、
自ら死刑を望み、それが激しい論争を巻き起こす中、願いどおり死刑に処される。
事件自体もショッキングだが、より恐ろしいのは彼ら兄弟を覆う激しい暴力と
憎しみの系譜だ。
家族、先祖、村、彼らを囲むものすべてが暴力に彩られ、荒みきり、
何気ない日常さえ不吉な兆しに満ちている。呪いに満ちているといってもいい。
激しい憎しみが愛も膨張させるのか、その逆なのか、
どちらのエネルギーもひどく大きく、どちらも不幸しか生まない。
生まれ落ちたときから破滅に向かってひかれたレールのうえを
まっすぐに走っているようにしかみえないゲイリーとその家族。
それ以外の道の可能性は、この本からはまったく見えてこない。
両親が死に、ゲイリーも死に、
死刑執行から30年、マイケルはいまどうしているだろう。
ギルモア家は、呪いから解放されたのだろうか。
それとも?
| 心臓を貫かれて〈上〉 マイケル ギルモア (1999/10) 文藝春秋 この商品の詳細を見る |
見える暗闇
2007.03.30(Fri)
がくんがくんと、ここ数年で階段を転げ落ちるように
お酒が飲めなくなった。先日のフレンチでも、ふたりでハーフボトルをあける
のがやっと。以前はひとりでフルボトルを軽くあけ、ビール、日本酒、
ジンがお気に入り。毎日毎日よく飲んでいた。
それが今ではビール一杯で頭痛がし、ひどい二日酔いに
襲われることもある(襲われないこともある)。
毎日毎日飲んでると経済的に負担が大きいし、太るし、
弱くなってちょうどいいや、ぐらいに思っているのだが、
がんばった後のお疲れさまの一杯、とか、
寝る前にジンをキュッとひっかける、
なんていうひそかな楽しみもなくなってしまったのは
結構さみしい。
そんなちょっと物足りない気分の時に思い出してしまうのが、
ピューリッツアー賞作家W・スタイロンのエッセイ、『見える暗闇
――狂気についての回想』『だ。
「ソフィーの選択」などの堅く重い小説で知られるスタイロン(昨年亡くなった
らしい)。彼がかつて鬱病を発症したときのことを文学的に書き上げた
のがこの本だ。ずいぶん前に読んだのだが、いまだに強烈な印象がある。
そのスタイロンが、鬱病にかかった原因のひとつと考えていたのが、
お酒が飲めなくなったことだ。当時は酒が飲めないくらいでなぜ、
と思っていたが、弱くなったいまは少しわかるような気がする。
それがこわい。
スタイロンの描く鬱病の風景は、まさに見える暗闇。
読んでいると鬱々とした世界にからめとられてしまう。
沈んだ気分の時に近づかないようにしている本がいくつかあるが、
これはまさにその1冊。
覚書 ディープエコロジーから先へ
2007.03.08(Thu)
どっぷりディープエコロジーな本のあとは、星川さん自身のスピリチュアルな旅の記録をつづった、
『環太平洋インナーネット紀行――モンゴロイド系先住民の叡智』。
これも10年ほど前に発行された本です。
この本では、星川さんはアラスカや北米大陸、オーストラリアなどを
訪れ、そこで先住民の叡智を辿っている。
先の本を読んだ印象から、あちこちでワークショップを受けて
さらに自分の内へと向かったのかしら、と思っていたが、そうではなく、
はっきりと外へ、社会へと向かっていた。
「たしかに真摯な自己究明によって変わることは少なくない。しかし
現在の地球上には、<私>を変えるだけではとうてい間に合わない、
たくさんの問題が山積しているのも事実だ。
……だとしたら、そういう問題を<個>に収斂する密室的アプローチで
解決しようとするのは無理がある。たとえば、核の脅威からくる
不安は、瞑想ではなく核兵器や原発の廃絶によってしか取り除かれない
だろう」
いまのグリーンピース・ジャパンの活動にもつながるような言葉だが、
この一文ですっと腑に落ちた。
「ひたすら内側に向けていた目を、もう一度世界に対して開き、
ものごとの大きなつながりを知ることが必要に思えた」
人によってはこれは、「ひたすら外側に向けていた目をもう一度内面に
開く」ってことになるのかもしれない。
どちらも大切ということですね。
わたしはいまは、内にも外にも片目しか開いてないような
状態だなと思う。
![]() | 環太平洋インナーネット紀行―モンゴロイド系先住民の叡智 星川 淳 (1997/09) NTT出版 この商品の詳細を見る |
覚書 ディープ・エコロジーに挑む
2007.03.06(Tue)
挑むものでもないですが……。仕事でグリーンピース・ジャパンの事務局長、星川淳さんを講師に
招いた講演会が今度あり、その勉強のために本を読みました。
これまでは、どことなくうさんくささを感じてさえいて、
特に知りたいと思ったこともなかった分野。
『地球の声を聴く――ディープ・エコロジー・ワーク』をまず読む。
ジョアンナ・メイシーやジョン・シードなどの著作で、星川さんが
監訳した10数年前の古い本だ。
例えば、
「ディープエコロジーは現代文明の根本的な前提や価値観に疑問を
投げかける」
「ディープエコロジーの本質は、より深い問いを問うことにある。
……われわれは、どんな社会、どんな教育、どんな形の宗教が、
地球の全生命にとって有益なのかを問うのだ」
といった言葉には、仕事で関わっている開発教育に通じるものがあり、
そのことに驚くとともに、すんなり受け入れることができた。
「もし人が自然への愛を示すために、自己利益を放棄したり犠牲に
したりする自己滅却が必要だと感じるようなら、それは長い目で見て
エコロジーの確かな基盤にはなりえない。逆に、より広い自己同化が
できれば、環境保護が自己利益にかなうことがわかるだろう」
「……救わなくてはならないのは地球ではなく私たち人間のほうだ。
さらに“自分”の幅を広げて、地球になり、生きとし生けるものに自己同化
していくと、必要なのは「救う」ことではなく「愛する」ことだと気づく。
それも、自分以外の何かを愛する愛他精神や慈善心ではなく、
“全生命である自分自身=地球を大切にする”ことが
一番自然な答えだ」
環境のために自己犠牲を求めるものではないということ、
地球を「救う」のではない、という考え方には
共感。
それでも、全てがしっくりくる、というわけではない。
なんというか、キレイすぎるというか……、
その方法として書かれているワークショップが、
本で読む限りだと感情的で妙にキレイで馴染めないのが原因かもしれない。
とても共感できる部分はありつつも、
うさんくささをぬぐうまでには至りませんでした。
というわけで2冊目に挑みます。
| 地球の声を聴く―ディープエコロジー・ワーク ジョン シード (1993/04) ほんの木 この商品の詳細を見る |
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